engawa
こどもの視線や息づかいが加わって12年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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苺のヘタから
路地苺の美味しい季節になりました。
大きな温室育ちとちがって、小粒で甘酸っぱい香りの路地苺。ジャム用にとパックに山盛りになっているのを幾つも買い求め、器に山盛りしてみるとたわわに実った苺畑の続く野道を想像することができます。

ヘタをプルーンにつけてみました。
なかなかユニークな苺に見えます。そういえば、苺の印象は、赤い実以上にヘタのかたちが強いなぁと感じました。布でできたねずみに乗せてみる、多孔虫の化石に乗せてみる。以外に可愛らしい苺に見えるので、面白くなりました。フレッシュな苺はお腹の中、干からびたプルーン、最初からぬいぐるみのネズミ、そして化石。

苺のヘタから_d0020310_22212292.jpg苺のヘタから_d0020310_22213711.jpg苺のヘタから_d0020310_22221734.jpg
# by book-tokyo | 2005-05-23 23:05 | 呟き
アナ・トレント
「ミツバチのささやき」EL ESPIRITU DE LA COLMENA

1973年
ビクトル・エリセ監督 
アナ:アナ・トレント
イザベル:イザベル・テリュリア
フェルナンド:フェルナンド・フェリナン・ゴメス


久しぶりに、アナ・トレントに会いました。
ミツバチのささやき。
すべての少女性が持っていた、そしておとなになるにつれて失ってゆくものについて。
正直にいって、私はまだ忘れられないという意味で、ビクトル・エリセの視点に立つことが難しい。哀しくなるほど純粋な心と感性を持った、子供にだけ許される真実を見るまなざし。
それが真実か否かなどという設問には意味がない。まして、真実は在るのか否かという設問もナンセンスとなってしまう。

アナが出会い、信じ、見たものは、アナにとっては真実なのだから。
天才的子役といわれたアナ・トレントは、その魅了され引き込まれるような瞳の持ち主というだけではなく、幼心が傷ひとつなく透き通った、存在の儚さを体現している。制作秘話によると、エリセ監督がマドリードの小学校で初めてアナ・トレントに出会った時、彼が「フランケンシュタインが誰だか知っているかい?」と話しかけた際、アナは「知っているわよ。でも、まだ紹介してもらっていないわ」と答えたそう。そして、脚本にある役名に対して「どうして名前を変えなきゃいけないの?」と反発したのですって。どんな幼い子にも、虚構と現実の世界をさ迷う様子は見られると思う。
遠い昔を思い出せないおとなも、そんな幼心に触れると、失うことで強くなると思いこんでいることに気づくのではないでしょうか。そうであって欲しい。何故かさっと吹き抜けるような哀しみを感じさえる純粋さ。

この作品を知らないひとへ、もしエッセンスだけを伝えるとすれば、アナ・トレントというひとりの少女が、精霊を信じるという虚構を通して、虚構を否定することではない方法でおとなになってゆく予感を体現した作品・・・とでもいったら良いでしょうか。
でも、アナ・トレントをことばで表現するなんて不可能かもしれません。

ところで、今回改めて観て(もう数回観ていますが)、初めて感じたこと。
スペイン内戦終結翌年のスペインを舞台にしていますが、集落の様子が実に大らかだと感じたのでした。母は遠い駅まで自転車で郵便を投函しにゆき、父が集落から離れた場所より帰宅してみると、幼いふたりの娘たちはフィルム上映会を観に出かけている。空き地で焚き火を燃やして、飛び越える遊びに夢中になっている少女達。学校帰りに集落から遠く離れた小屋へ遊びにでかける幼い姉妹。汽車のレールに耳をあて、あやうく轢かれそうになる姉妹。いずれも現代の東京では無理だろう放任された子供たちの環境に感心し、驚きました。昔の東京も、こんな感じだったのでしょうか。


それから、姉役のイザベルのこと。
実はアナと同い年のこの少女。
何故か今回は、この子の表情にも惹かれました。

手紙のこと。
これには、色々と憶測があって、この映画をもうひとつの物語りとして、ひとり密かに楽しんでいます。とっておきのストーリは、テレサ(アナのお母さん)は、手紙を綴り、毎週のように遠い駅まで投函にゆくのですが、自分宛の手紙ではないか、という憶測。自分自身へ「あなたは無事ですが、どこにいますか」と終戦の混乱の中問いかけているように思えた。これは、とんでもない想像でした。

それにしても何度観ても秀作。ラース・フォントリアーの映像の色も好きなのですが、ビクトル・エリセのもっとのびやかでゆったりとした構図と、ため息のでるような美しい灰色にはかなわないな・・・と改めて。

最後に、挿入されていた「フランケンシュタイン」について
1931年・ジャームズ・ホエール監督 人造人間と少女、微笑みを知るフランケンシュタイン。双方の心の通い合いと悲劇。アナがひとつの扉をあけるきっかけになる作品。挿入シーン冒頭に制作者と監督からのご挨拶といって、紳士が「人類創造は神の御業なのを忘れた人の話です」「人類創造の秘密に迫る、生と死の物語りです」「世にも稀なお話、怒り出す人もあるだろうけれど、あまり本気になさらないよう願います」と語る。
DVD 東北新社
image 映画パンフレット表紙より 



アナ・トレント_d0020310_253779.jpg
# by book-tokyo | 2005-05-21 02:07 | workshop
岸辺のふたり
「岸辺のふたり」をようやく観ました。

監督/ストーリー/デザイン/マイケル・デュ・ドゥ・ヴィット
2000年
英国・オランダ カラー8分

単館でかかって、このフィルムの予告を観た時、何か気になるけれど少し離れておこうかなという印象がありました。
でも、DVDの背を見るたびに、いつか観ようと・・・。
観ました。

幼い子供の頃、湖へ〜それは大地でもあるのですが〜消えていった父の面影を、一生涯慕い続ける女性を描いた、ショートアニメーションです。純粋な親子の愛を、こんなシンプルなアニメーションと音楽で描くことができるなんて。
このフィルムが歪まずに映るように、心の鏡を磨いておきたいと思いました。
テクニックではなく、何よりも監督の心と真っ直ぐとした眼があったから描けた作品ではないでしょうか。

どんな子にとっても父に対する想いは様々あるでしょう。
女性が父に対して持つ想いと、男性が母に対して想うものは、ただ子が親を想い、親が子を想うという同じ定規では、測れないのではないかしら。


でも、そんな思索はやめて、ただ、8分のあいだ、あたまを空っぽにして観る。


初めて観た時には、最後の瞬間に涙が止まらなくなった。
2度目に観る時には、きっと冒頭で泣いてしまうだろうと思う。

美しい作品でした。

(予告編のようになってしまいました(笑))
# by book-tokyo | 2005-05-19 01:11 | workshop
Mac Power
Mac Powerの表紙が変わりましたね。
って、今頃、目に入ったというばかりなのですが・・・。

表紙・・・何かすっきり、今風になったと思いきや、佐藤可士和さんの写真とディレクションでした。「今風」のエッセンスを感じさせるというのは、デザイナーとして大切な感性なのでしょうか。ちょっと先。あんまり先ではない。あ、いいなと今感じる、そのタイミング。
繋がっている感じ。
カラー風景の場合、少しペールトーン、遠近感がなく拡散光気味、そして水平もしくは垂直な構成の線。
誰がはじめたのかまでは記憶にないのですが、最近続いている今風な感じの印象です。
個人的には、モランディ風と名付けてみました。
「去年マリエンバードへ」や、広重の「日本橋」のような一点透視図的な構図が、古いけれど新鮮にも感じるこのごろです。

Mac Powerは、誌面のデザインも記事の内容、クローズアップされている人物までも、ちょっと対象ユーザを見直したような、印象です。エディトリアルもすっきりと、白っぽい。
内容は、プロダクトデザイン方面の記事も多く、和菓子や香水瓶の特集など。Change Your MusicLife with iPodということで小西康陽やTei TOWAの記事も。
Macについてさらなる情報を知りたい人は、何もパソコンヘビーユーザや機械好きばかりではなく、Macをデザインツールや脳みその機能拡張として使っているクリエータも多くなっている現状にようやく追いついた・・・?それともそのようなユーザを読者として迎えたいというコンセプトによるリニューアルかしら。
いづれにしても、Macが重要な仲立ちになっているのは、クリエーターとヒト、モノやコトであることは確かなので、機能や性能テスト、新製品情報満載だったMac Powerの変身ぶりは、そう悪くはないのではないのかしら、と感じています。
でも、クリエータの仕事着:デニム特集は、どうなのかしら(笑)
# by book-tokyo | 2005-05-11 23:12 | design&...
COFFEE&CIGARETTES Vol2
唐突にジム・ジャームッシュ監督「コーヒー&シガレット」
超個人的な感想vol.2です。

今晩は最終話「CHAMPAGNE」シャンパン
BILL RICE+TAYLOR MEAD
あまり美味ではないコーヒーをシャンパンにみたてて、夢見るような眼差しを宙にたゆたわせるテイラー・ミード。
Ich bin der Welt abhanden gekommen /ジャネット・べーカーの歌声が、倉庫のような空間にオーロラのように現れては消える。ビル・ライスとの会話も、現実的な仕事の休憩時間という設定から、やがてふたりがそれぞれの想いの中に耽ってゆくフェードアウトが、何ともいえず心に残っています。
死を予感する、夢想のオーロラ。

ジム・ジャームッシュの日常への優しくも透徹とした視線に、手元のコーヒーカップたちにも、同じ予兆や繰り返しを見つけることができるように感じてしまう。身の回りの出来事がぼんやりと浮かび上がってきます。
image「コーヒー&シガレッツ」より http://coffee-c.com/

COFFEE&CIGARETTES Vol2_d0020310_184070.jpg
# by book-tokyo | 2005-05-10 01:04 | workshop