engawa
こどもの視線や息づかいが加わって12年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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リリィ・シュシュのすべて
「リリィ・シュシュのすべて」岩井俊二
2001

久々に日本の映画を観ました。
かもしだすにっぽん調。

13歳から始まって、12歳に遡り、そして、14歳まで続く少年の日常。
内面の純粋さと、日常に起こる残酷な出来事の対比が鮮明な脚本。
何よりも、それに気づかない・感じない大人の世界(唯一主人公の雄二の母を抜かして)の描き方が印象的であり、岩井俊二の視点はどこにあるのかについて、考えさせられる、映画っぽい映画でした。

青年期の曖昧さを、20歳前後ではなく、13~14歳で描いたこと、凄いと思う。
あまりにもリアルである時、観るものはどう現実に戻ったら良いだろう。淡々と過ぎてゆく少年時代は、これこのまま淡々と過ぎてゆくという予感?

見終わって2〜3日、妙な気持ちが続いて困ってしまいました。
(私の少年期と重ねているわけではありません(笑)あしからず)
# by book-tokyo | 2005-06-10 22:35 | workshop
リトグラフ講習会
はじめて、町田市にある国際版画美術館の版画工房に行って来ました。

「版式調査」のリーダがリトグラフを体験してみたいという素敵な発想が発端です。私は、見学者として参加しました。

久しぶりに嗅いだ薬品やインクの匂い。
優しい色をした石灰石。
クレヨンや解き墨がアルミ版に黒い色を載せる様子。

私も描きたくなってうずうずしました。

リトグラフの技法は、他の版種と比べると、やや化学的作用に頼るせいか判りにくい原理でもあります。私も自分自身が初めて一通りの作業の流れを体験した際にも、その原理を把握できないことにとまどいました。ただ、そうはいっても書いたものをインクに置き換えて、紙に刷り取るという仕組みは単純なので、判ってくると様々な工夫ができるようになります。
版に化学的な作用を施し、油と水の原理を利用して絵を紙にうつします。この技法に関しては、サイトhttp://www.book-tokyo.comにもこれから記載してゆこうと思っています。

町田の国際版画美術館版画工房の印象は、とても良かったです。整理整頓されて、使いやすい道具の配置が工夫されていました。明るさも調度良く、多少の狭さもルールを守れば苦にならないと感じました。久しぶりに気持ちの良い工房を見ました。ひそかに「またきます」と呟いて帰りました。
# by book-tokyo | 2005-06-04 23:33 | art&...
戦争とメディア研究会
と、唐突に普段の投稿と毛色の異なるタイトルです。

人類史上に「出来事」と旗を立てるのは人間のする認識活動で、連綿と毎日、どこかで何かが起こっている。たまにそれを忘れてしまっていることに気づきます。何が事件なのか、それは事件と見る、見方によるとも言える。

第一次世界大戦おわりころに各国(主に連合軍)で発行された平版ポスターのデータベースを作成するという作業に関連した研究報告会がありました。
誰が、どんな目的で、漠然とした出来事の中から、自分たちが必要とすることを歴史から抽出するのか。600枚近いポスターという未分化な情報には、無限の方向から串を刺そうと思えばば刺せる。(笑)
串焼(例えが美しくありませんが)を想像してしまいました。
あらゆる食材から選ぶことができれば、際限ない種類の串焼が出現しそうです。様々なキノコの串焼、緑色の食材の串焼etc.
ところが、ザルの上にのった食材の中からだけで串焼を作らなくてはならなければ、そのバリエーションは限られたものになる。

さて、大量のポスターがデータベース化されようとしていますが、その「器」に「版式」という材料を見出そうという動きがあります。大戦ポスターを、「版式」をベースにして串焼きにできるようになりそうなのです(どんな?それはこれから)
とても面白いと思います。
1910年〜18年頃といえば、重要な大衆のメディアはラジオの他にはポスターが挙げられるそうです。今回再発見された大量のポスターからは、生まれつつあった近代米国の大衆文化、戦争とメディア、メタデジタルアーカイブ化に関する研究、さまざまなアフォーダンスを感覚・導きだせる様相がある。研究会に参加してそれが一層感じられました。
特に、社会学的な観点からは、版式を調査することで、印刷技術、技術の質、大衆文化の萌芽の観察etc.などへ繋がるだろうという考え方が興味深い。
私はこの版式調査に関わっていているのですが、この時期(1910年代〜)には様々な版種が混在していたため、その多様なオリジナルの版面をじっくりとルーペを使って観察できたことはとても有意義でした。石版画(平版・リトグラフ)の美しさを堪能する時、重なり合う砂目を透かして重なる色や、美しい砂目そのもののテクスチュアも重要な要素だと思っています。
確実に消えつつある版種(アルミ版や木によるリトグラフなど色々な作品は生まれていますが)とマチエールなので、現在の時点で中途半端ではない精確な記録と考察がされることをひそかに期待。戦争中というのに、計算された色の組み合わせや構成やモチーフの描き方の巧みさに感動してばかりでした。

過去への郷愁というよりは、失われてゆくひとつの感覚を生まれ変わりの母体とできるような、記録・記憶を残したいという非論理的な感覚でしょうか。現代のデザイナーがどんな版式を選びこれからの表現を模索するのか。この選択肢も日々変化してゆくことでしょう。それには、様々な版式や可能性を実感していた方がいい。採算性ではない人間の豊かな五感を育てる(維持が精一杯?)のは、わたしたちのあくなきクリエィティビティなのではないでしょうか。つまり職業に関わらない「こだわり」を多くのヒトの共有財産にできるエネルギー。

メタアーカイブ、利用されてはフィードバックされ育つアーカイブ。楽しみです。
# by book-tokyo | 2005-06-04 03:26 | art&...
葛藤を抱え込む曖昧さ
最近、取り組みつつあるテーマのために、発生学と再生学なるまるで未知だったジャンルの研究に関する研究写真や文章を見読しています。
発生学や再生学については、私は説明ができるものではないので、関連サイトなどをご覧いただくとして(http://www.cdb.riken.jp/jp/・・・理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター)、生命や胚発生の過程のメカニズムなど解明に関する資料を眺めているうちに、この人間の持つ飽くなき好奇心に驚くと共に、少なからず畏れを感じました。明らかにしたいという欲求は、artにもscienceにも共通したものではないでしょうか。それが地球全体にとって、有益なのか害なのか、それを考えるのは哲学や倫理学であると考えてみると、葛藤を糧にすることもできる。
コンピュータ言語の開発、原子力、遺伝子解明・・・脳科学や再生学にまで至ると、同一人物の中で、科学への忠誠と実生活や未来をどのように調和してゆけるのだろうかと、思いを馳せています。
artは、葛藤を抱え込み、曖昧さをそのまま目に見えるかたちにすることができる可能性を持っていると思うのです。昨日まで気づかなかったことを明らかにし、それを観る人が曖昧な中から様々な夢や希望(その反対も)をみつけることを願うこと。
科学が、わたしたちの生命や地球の仕組みを明らかにしてゆくにつれ、曖昧さや不可思議な魅力に心身をゆだねる楽しみについて、私たちは自覚できるようになるかもしれません。
# by book-tokyo | 2005-05-31 02:09 | in art in science
独り立ち鶯・森の匂い
昨日に続き、今日も夕立。
東京都心はまるで映画のセットの中にいるように、局所的な豪雨。
久しぶりに雨の中を走って、少し楽しかった。
それにしても、毎年、こんな次期に夕立なんてあったでしょうか・・・?

ところで、私の住まう近辺は、庭に樹木の茂る一軒家が多く、借景・借音がすばらしいです。3月の中頃には、鶯や郭公(カッコー)の雛が孵ったのか、移動してきたのか、いづれの区別もつかないような囀りが、たびたび聞こえてきます。
去年も同じ頃に聞こえ始めたので、近辺に巣を作るのかもしれません。
ホ〜とはじまって、けっきょで終わるのですが、間の音がありません。リズム感や音感が一人前に整うのは4月中旬頃です。都会の鶯の子は、案外のんびりしているのかも。郭公も、時々ですが、カッコ〜とその名も通りの見事な声を聞かせてくれます。最近は、お天気が良くなると早朝から自慢の声で唄いはじめるので、寝起きはとても素敵です。日中の作業も心地よく、声に聞き惚れて、外出をやめてしまうこともあるくらい。

独り立ちの季節が来る頃、彼らを隠してくれる木々の緑は一層深くなりました。
どうか、大きく育った庭の樹木たちが切り倒されませんように。
この季節の風の匂いにはうっとりしてしまいます。

隣家より
# by book-tokyo | 2005-05-24 20:24 | 呟き