ayako tsuboya blog
by book-tokyo
engawa
こどもの視線や息づかいが加わって15年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザイン with サイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。
創りたい、みてみたい世界への試行錯誤の追記を再開します。(2023)

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。

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毎日、お昼に通りかかる土の道のそばに、可愛らしい樹木があります。
何年か前、病気にかかって治療を受けた樹。ある日枝という枝を切り落とされてしまったので、心の中で悲しく思っていたのですが、翌年にはお腹のあたりに小さな葉がふさふさ、その翌年には耳元にもわさわさ・・・今年は大きなブロッコリーのように立派な枝葉をたたえるようになりました。

この世でもっとも素晴らしいなと思うのは庭師。
大胆に枝葉を切り落とされる大樹も、太陽が高くなるころには美しい若葉におおわれて活き活きとしているのですから。痛々しいほどに刈り込まれたあの子も、今ではすっかり元気な坊やになりました。知恵と知識、判断力。

初夏を迎え、視界に入る樹木たちは深い緑に覆われてしまいました。そのレースのような枝も、美しいバランスを持った幹を愛でる時間も、数ヶ月お預けです。さぁ・・・こうなってくると、想像の世界がむくむく・・むく。描きたくなてきましたよ・・・。
# by book-tokyo | 2009-06-23 23:49 | in art in science
もうすぐ!
もうすぐ憧れの40歳代。遠いと思いつつ、間近になってまいりました。
ひっそり迎えた誕生日。
遠い場所に住む家族からのメッセージやお祝いを受け取ると、自分自身が産まれた朝を想像してじんわりしてしまいました。昨晩は、時空間を超えた遠い日の朝、もうすぐ私と出会うだろう母の気持ちや様子を想像しながら、丸い月と散歩してみました。
子供は産まれることをみずから選び、何らかの使命を持ってやってくるもの。その子に選ばれた母親は、新しい生命がその使命を全うできるよう助けることが、次世代へ命をつないでゆくために与えられた仕事なのだ。あまりにも時間が経ってしまい、自分自身がどんな使命を持って産まれてきたのかを忘れてしまった(ことばを話すようになると、こどもは産まれる前の記憶を失ってゆく・・・)。そんな時、これまで母がしてくれた事を思い出すと、自然に心の中が、産まれたばかりの頃の記憶を探せるよう澄んでくるように思います。また新しい一年。どうぞよろしくお願いいたします。
# by book-tokyo | 2009-06-07 06:22 | 呟き
むつかしいこと
ひさしぶりに、母にブログを紹介したところ、難しくてわからなかったという返信。「難しい」という反応、想定外であってちょっぴり怖いです。
作品展の感想でも、ひとこと「難しくてわからない」というコメントをいただくこともあるのですが、なぜか落ち込みます。もう少し「発表すること」を自覚しなさい、ということなのでしょうか。表現者にとって、発表することの意味を自覚するのって、実はとても難しいのかもしれませんね。改めて考えさせられます。ただ、世の中には解らないことの方が多いのです。あぁ、でもちょっと寄り添えたらいいなと思います。
# by book-tokyo | 2009-05-31 00:13 | 呟き
アルスノート
以前から興味を持って、作品制作に取り組んだり、勉強させていただいている「arsnote.lab」が、しばらくお休みしていたアルスノートのワークショップを再開することになったそうです。
一緒に参加しようとしていたすいれんの発熱のため、第一回目は参加できず残念だったのですが、サイトも更新されているのでメモ。
arsnote.lab

久しぶりに石垣さんの研究内容、基礎概念を読んで刺激を受けています。
『 植木算というのがある.余り趣味の良い問題ではない.五本の指の間は幾つあるか?五つである.マイナス1が「間」の数などという考えは,環境に目を向けず,ひとりよがりに陥る.リンゴを丸く握るようにして指の間を数えれば,多角形の頂点と辺のように共に等しい数である.対象の周囲を見ないことは,美的にもマイナスである.芯と輪郭を混同している.二本足で立つ半割の植木など見たことがない.建築のラーメン(梁・柱)構造に庇やキャンティレバー(片持ち梁)が加わるのは自然な姿だ.さもなくば,両脇の柱間を壁で覆うか,柱を軽やかに輪郭のように見せる方が自然だ.分割とは,対象を物理的に断絶させるのではない.対象全体を認識するための仮想的な概念だ.これを言わずして画面分割など考えられない.切るのではなくつなげるためのプロセス(方便)である.細胞膜や国境とて同じであろう.
 物差しには,等分割が重要である.だがこれとて分けるためではなく,全体を度量衡で見定めるための方便なのだ.』(アルスノート基礎概念・分割より)

石垣さんの概念の素敵なところは、難しい論理に陥ることとは反対の方向・・・人生が楽しくなるようなものの見方を実践的に(安易なノウハウとはまったく異なりますが・・・)導きだすことだと思います。ルーチンワークに落ち込んだ時思い出したように繰り返し読んでいます。
# by book-tokyo | 2009-05-30 07:02 | in art in science
しごとのおわり
気がつくと田植えの時期・・・。すいれんが大注目していたのは代掻きの作業。使い終わった機械は明日のために綺麗に泥を落として仕舞われます。やがて錆の原因になってゆく泥は、乾くとなかなか落ちないのです。
畦道にはタニシやザリガニ取りに夢中の家族がいる賑わいの中、粛々と田植えの作業を進めてゆく姿にありがたい気持ちになりました。日々繋がってゆく自然を相手にした仕事には、年月を重ねて育まれた知恵がつまっています。明日の始まりのために、今日のおわりの仕事に手を抜かないこと・・・。当たり前のようでいて、難しい(私は特に・・・)。農作業の中には人知があふれているなぁとつくづく思うのでした。
しごとのおわり_d0020310_6454437.jpg
# by book-tokyo | 2009-05-30 06:46 | カウントダウン