engawa
こどもの視線や息づかいが加わって12年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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カテゴリ:呟き( 81 )
雪、積もりましたね
雪が積もりましたね。
もう1週間も経ちますが、先日旅してきた奥出雲のしんしんと積もる雪と違って、また里山の雪景色も趣があることです。なにしろ、我が家は坂の上にあるため、雪が積もると軟弱な車たちで町へ出て行くことができません。パートナー氏が早朝から雪かきをしてくれて助かりましたが、もう少し前にお勤めのため果敢にも坂を降りようとしたお友達が、途中の空き地で雪どけを待機しているのを見てどきどき。なんとか平地までたどりつくことができました。昔は良くこんな雪が降ったと・・・雪かきのシャベルを使ってご近所のおばあさまが道を除雪してくださっていて恐縮。ご自宅周りだけではなくて、我が家の前や坂のあたりまで。福井が実家の同僚に聞いた話では、かつては、雪が降ればみんなが出てきて通学する子供のために除雪したそうです。助け合いは、こんなささやかな日常からなのかもしれません。ほんとうに、頭の下がる思いでした。
雪、積もりましたね_d0020310_11553515.jpg

by book-tokyo | 2010-02-02 11:42 | 呟き
邯鄲のごとし夢のあと
久しぶりに、実に3年ぶりに能を観にゆきました。
ふといつも読み流しているMLから、ついオンライン予約をしてしまった。乳飲み子のいる身の上にも関わらず、快く行っておいでと言ってくれるパートナーと、バイバイとご機嫌よく見送ってくれるすいれんに感謝しつつ、舞台が暗転し、囃子方や地謡が現れた時には思考全身があちらの世界へ行ってしまいました。

世田谷パブリックシアターでの能も、野村萬斎主催の「能楽現在形・・」も、初めてでした。めでたく祝言の能「高砂」から始まり、能は「邯鄲」。
「高砂」は半能だったので、萬斎氏がひた面で登場するシーンはわずか、後半の「松の神の化身」の神舞がメインだったのですが、テンポも良くめでたい金糸づくしの装束が舞台に映る様が新鮮で、あっという間にお仕舞いになってしまいました。ただ、鏡板(古典的な能舞台のバックには松が描かれている)の替わりにつられた大きな幕が松風に揺れる演出などは、確かに具体的で判りやすいものでしたが少し目障りのように感じました。

そして私が好んで観たいと思う夢幻能の中でも、様々な手段で描かれてきた演劇性の高いと言われている「邯鄲」を、ようやく観ることが出来ました。「邯鄲」は中国の故事に由来した能で、人生に迷いを感じ故郷を旅立った青年が、休みを求めた宿でひと眠りをすすめられ渡されるのが「邯鄲の枕」。青年がその枕に頭した瞬間に舞台は・・帝の位に就き、50年があっという間に過ぎて菊水の盃で千年の命をさずかった、そして舞に興じる青年をみせる。賑やかにツレの舞、絶妙なリズムの囃子方がクライマックスに達した瞬間、宿の女に起こされた青年は、その栄華がひとときの夢であったことを悟り、静かに宿を去る。かつて友枝昭世シテの喜多流 『烏頭』を観た時に感激した「時間軸の変化を感じた一瞬」は、今回の舞台では演劇的な演出によって表現されてしまっていたけれど(扇で寝床を模したひな壇を2回たたく、吊り下がるランプが豪奢な4灯から簡素なものに入れ替わる)、ただ片山清シテが全身で表現した「華やぎ」から「茫然」への転換は素晴らしかった。
主人公である青年が「邯鄲の枕」を宿の女に返し、かすかにお辞儀のような仕草をみせてから去る結びからは、彼が先に進むのか、故郷に戻るのか、何を悟ったのかを明確にはしていません。劇場が明るくなってからまさに自分自身が舞台に置き去りになってしまう仕掛けだったのかもしれません。

そしてツレは女性が唄を舞、それが青年が見た夢をリアルなものに感じさせてくれたのが不思議でした。宿の女主人を萬斎さんが演じたからなおさら。今回はまた大鼓方の亀井広忠がとても良かった。
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夜は家族と合流、最近めぐりあった素敵なお友達一家のおうちでご馳走になりました。現実です(笑)
イラストレーターでアートディレクターのカヨさんは、お料理も上手。そしてなんと子供の時から仕舞をたしなんでいるとのことでびっくり。少し遠ざかっていたお話の世界が、また生き還ってきました。
by book-tokyo | 2010-01-16 23:38 | 呟き
本年もよろしくお願い申し上げます
謹賀新年
ことしの元旦は、雲ひとつ無い美しい夜空に満月がぽっかり。夜明けと共に一層輝いて、それは見事な眺めでした。昨日までと変わらずに目覚め、窓からの風景を眺め、いっぱいの水を飲む。
あれ・・・と思いつつWebサイトで各地のニュースやレポートなどを読んでいると、ちゃんと初詣の人出などの記事もあり、間違いなく元旦なのだと確かめている自分が、可笑しかった。同時にWebサイトはまったく異なった夜を迎えた地の様子も伝えてきて、おめでたい雰囲気で盛り上がろうという勢いに水を差す。
子供を持つと、「いただいてきたものを、伝えたい」と思う気持ちが出てくるものなのでしょうか。1年の節目に大掃除をして、正装して迎える食卓にお節料理が並び、家族そろって過ごした・・・日向の匂いのした一日が、懐かしく思い出されます。結婚して以来、年々減ってゆくお節料理の準備も、ことしは黒豆を炊く程度で終わり、母のお節料理が懐かしいと思いながら迎えた元旦。両親から贈られた重なる年の瀬の幸せな日々に感謝。
いつもクリエイティブで美味しいご飯で生きる力を呼び覚ましてくれる・・そう、ついに研鑽のかいあって美味しい年越し蕎麦を披露してくれたパートナー氏にも感謝。
かたわらで、腕をいっぱいに伸ばして私を呼んで、全身で抱きしめてくれるすいれん、この世のものと思えない笑みでわたしたちを幸福で満たしてくれる息子に感謝。
そして一年間、暖かいまなざしと、厳しくありがたいメッセージで支えてくださったみなさまにも感謝。

ことしはどんな一年にできるでしょう。Webサイトは世界を傍観できるけれど、自分自身の脚と目の感覚が、深い記憶となって次の一歩に繋がることを忘れずに・・・・たくさん歩きたいと思います。今年もengawa、磨いておきます。ほっとひといき、お立ち寄りくださいませ。みなさまの幸多い一年をお祈り申し上げます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
by book-tokyo | 2010-01-01 07:30 | 呟き
凍えるたんぼ
少し早起きすると指先が冷たくて、キーボードをたたくのに苦労する季節になりました。
我が家の裏山を越すと、また里山が広がっている地域があって、山越え、谷越え、向かいは住宅街だというのに背後には冷たい冬の空気が塊になって留まっている感じがします。
月日が経つのは遅くて長く、そのあいだにすいれんにも目覚ましい変化が嵐のようにやってくる・・大げさなのですが、私にとってはそんなドラマティックな日々が続いています。

休耕田にたまった湧き水が、こんな美しい形を造りだしてくれました。すいれんも指を真っ赤にしながら夢中になって持ち上げては眺めていました。
凍えるたんぼ_d0020310_4322292.jpg

by book-tokyo | 2009-12-21 04:33 | 呟き
もうすぐ!
もうすぐ憧れの40歳代。遠いと思いつつ、間近になってまいりました。
ひっそり迎えた誕生日。
遠い場所に住む家族からのメッセージやお祝いを受け取ると、自分自身が産まれた朝を想像してじんわりしてしまいました。昨晩は、時空間を超えた遠い日の朝、もうすぐ私と出会うだろう母の気持ちや様子を想像しながら、丸い月と散歩してみました。
子供は産まれることをみずから選び、何らかの使命を持ってやってくるもの。その子に選ばれた母親は、新しい生命がその使命を全うできるよう助けることが、次世代へ命をつないでゆくために与えられた仕事なのだ。あまりにも時間が経ってしまい、自分自身がどんな使命を持って産まれてきたのかを忘れてしまった(ことばを話すようになると、こどもは産まれる前の記憶を失ってゆく・・・)。そんな時、これまで母がしてくれた事を思い出すと、自然に心の中が、産まれたばかりの頃の記憶を探せるよう澄んでくるように思います。また新しい一年。どうぞよろしくお願いいたします。
by book-tokyo | 2009-06-07 06:22 | 呟き
むつかしいこと
ひさしぶりに、母にブログを紹介したところ、難しくてわからなかったという返信。「難しい」という反応、想定外であってちょっぴり怖いです。
作品展の感想でも、ひとこと「難しくてわからない」というコメントをいただくこともあるのですが、なぜか落ち込みます。もう少し「発表すること」を自覚しなさい、ということなのでしょうか。表現者にとって、発表することの意味を自覚するのって、実はとても難しいのかもしれませんね。改めて考えさせられます。ただ、世の中には解らないことの方が多いのです。あぁ、でもちょっと寄り添えたらいいなと思います。
by book-tokyo | 2009-05-31 00:13 | 呟き
ほぅ・・ほぅ・・・
冬との別れを惜しんでいた日から、気づくと夏を迎える頃になっていました。毎日24時間まさにオフは無いという状態でこのところはすいれんに呼ばれて寝床に入る、寝付くと出る、という綱渡り的生活をしています。忙しいということは有り難いとはいえ、心を失うべからず。長い風邪からようやく復活したすいれんと、思い切って今日のお昼は近くの公園まで遊びに行ってきました。
久しぶりにゆっくりと歩いたたんぼ(これから田植えです)や畑の道、木々のざわめきや蛙の声が聞こえてきました。復職するまで、毎日林や畑の道を一緒に散歩した日々が懐かしくなりました。そしてそんな日は、ぐったりとして昼寝も気持ちが良いのです。
深夜、夫に手をひかれて玄関の外に出てみると、暗い森の上に朧月が・・・。ほっほぅとミミズクの声が静かに響いて、一緒に深呼吸です。うまれたての空気。美味しいです。
by book-tokyo | 2009-05-11 02:47 | 呟き
寂しい、冬
大学での勤めの他に、時々頼まれるデザインや制作の仕事。じわじわと感じる不況の波のなか、感謝してこころを込める。
看病でもなく、通院でもなく・・・・久しぶりの休日。すいれんを保育室へ預けた帰り道、少しだけあちこちと寄り道をする。いつも気になっていた小道、脇道、林の中。何度も車をバックさせて、いったりきたり。
春霞のかかるまえに、何とか記憶にしっかりととどめておかなくてはならないと、白い肌の美しい木立をみる。陰を踏む。風景の中に、てんてんと色づいて広がってゆく春を感じると、大好きな冬がまた過ぎていってしまうことが、寂しく思われます。終わりに一歩近づいたからなのか、そんな達観とは違ったなにか言葉にできない感覚。
久しぶりにゆっくりと友人たちのブログをひとめぐりし、たまっていたメールにお返事をして、さぁお茶を煎れようと時計をみるとまだお昼にも遠い時間。
by book-tokyo | 2009-02-19 11:31 | 呟き
そばうち
家人(男)はさいきん「麺類」に凝っており、日々実験中。昼ご飯、夜ご飯といわず、仕事帰りの夜食まで、麺類は自家製。
昨年末に間に合わなかった年越しそばも、今年は数日前から復習を重ねてリベンジ。美味しいおそばをいただくことができました。研究熱心なT氏の根気は職業柄なのか半端ではありません(笑)
うどんはこねる力と根気が、パスタはソースに相応しい太さ長さのあること、そして蕎麦は足し引きができない一瞬の勘が必要であること・・・などなどを傍らでみながら、試食担当ながら実感。道具も家にあるものを代用することから始まって、美味しく作るためには道具にも理由があることに気づきがおこり、粉もさまざまなものを購入できるので、つるごっくん、を超えた麺のお味を堪能することができます。かつては自家製があたりまえだったとはいえ、段取りとひと手間のいる製麺。でも、とにかく美味しいのです。当初は大混乱だった台所も、今は作業前の工房のように片付いて終了。すばらしい!そばうち_d0020310_12483957.jpg
by book-tokyo | 2009-01-07 12:27 | 呟き
あけましておめでとうございます
2009年も、すいれんとパートナー、家族の穏やかな笑顔の中、迎えることができました。みなさま、どんな元旦をお過ごしでしたでしょうか。

ささやかな幸福を感謝する家庭の窓からちょっと外を覗いてみると、世界は解決の糸口のみつからない積み重なった歴史の重みにゆっくりとあえいでいるようにも感じます。
見通しの良い縁起をかついで酢蓮を美味しくいただいても、我が家はもともとどこへ続くかわからない道なき道を進む旅芸人。不況好況にも縁遠いとはいえ、隣人も、環境も、社会も、地球の裏側をめぐって網の目のように繋がりあって、ゆっくりと波打っていることを感じるこの頃です。
目下、0歳にして小さな社会デビューするすいれん(わたしの育休終了のため、日中は保育室で過ごしてもらうことになりました)と自分自身の心身メンテナンスに私の神経は集中しているのではありますが、わたしたちをとりまく環境をゆっくりと見回すことも忘れずに過ごしたい。ちいさな人は、全身で喜びや悲しみを表現しながら、彼らに何十年も先に続くべき未来があることを教えてくれるように思います。すいれんや、その仲間たちと遊びながら、遠くを見ながらも今できる最善のことを選択してゆきたいと改めて実感する時です。
あくなき好奇心は自分自身が生きてゆくために。今日も産まれつつある新しい仲間たちのためにも、繋がりあう掌とそのもう一歩先の掌を想像することを忘れずに。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
by book-tokyo | 2009-01-02 09:18 | 呟き