ayako tsuboyaのブログ
by book-tokyo
engawa
2008年、とりとめなく続く毎日に、こどもの視線や息づかいが加わりました。
そこに在ることをどのように見出すかによって環境や認識、はたまた自分自身と生き物の在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々のメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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戦争とメディア研究会
と、唐突に普段の投稿と毛色の異なるタイトルです。

人類史上に「出来事」と旗を立てるのは人間のする認識活動で、連綿と毎日、どこかで何かが起こっている。たまにそれを忘れてしまっていることに気づきます。何が事件なのか、それは事件と見る、見方によるとも言える。

第一次世界大戦おわりころに各国(主に連合軍)で発行された平版ポスターのデータベースを作成するという作業に関連した研究報告会がありました。
誰が、どんな目的で、漠然とした出来事の中から、自分たちが必要とすることを歴史から抽出するのか。600枚近いポスターという未分化な情報には、無限の方向から串を刺そうと思えばば刺せる。(笑)
串焼(例えが美しくありませんが)を想像してしまいました。
あらゆる食材から選ぶことができれば、際限ない種類の串焼が出現しそうです。様々なキノコの串焼、緑色の食材の串焼etc.
ところが、ザルの上にのった食材の中からだけで串焼を作らなくてはならなければ、そのバリエーションは限られたものになる。

さて、大量のポスターがデータベース化されようとしていますが、その「器」に「版式」という材料を見出そうという動きがあります。大戦ポスターを、「版式」をベースにして串焼きにできるようになりそうなのです(どんな?それはこれから)
とても面白いと思います。
1910年〜18年頃といえば、重要な大衆のメディアはラジオの他にはポスターが挙げられるそうです。今回再発見された大量のポスターからは、生まれつつあった近代米国の大衆文化、戦争とメディア、メタデジタルアーカイブ化に関する研究、さまざまなアフォーダンスを感覚・導きだせる様相がある。研究会に参加してそれが一層感じられました。
特に、社会学的な観点からは、版式を調査することで、印刷技術、技術の質、大衆文化の萌芽の観察etc.などへ繋がるだろうという考え方が興味深い。
私はこの版式調査に関わっていているのですが、この時期(1910年代〜)には様々な版種が混在していたため、その多様なオリジナルの版面をじっくりとルーペを使って観察できたことはとても有意義でした。石版画(平版・リトグラフ)の美しさを堪能する時、重なり合う砂目を透かして重なる色や、美しい砂目そのもののテクスチュアも重要な要素だと思っています。
確実に消えつつある版種(アルミ版や木によるリトグラフなど色々な作品は生まれていますが)とマチエールなので、現在の時点で中途半端ではない精確な記録と考察がされることをひそかに期待。戦争中というのに、計算された色の組み合わせや構成やモチーフの描き方の巧みさに感動してばかりでした。

過去への郷愁というよりは、失われてゆくひとつの感覚を生まれ変わりの母体とできるような、記録・記憶を残したいという非論理的な感覚でしょうか。現代のデザイナーがどんな版式を選びこれからの表現を模索するのか。この選択肢も日々変化してゆくことでしょう。それには、様々な版式や可能性を実感していた方がいい。採算性ではない人間の豊かな五感を育てる(維持が精一杯?)のは、わたしたちのあくなきクリエィティビティなのではないでしょうか。つまり職業に関わらない「こだわり」を多くのヒトの共有財産にできるエネルギー。

メタアーカイブ、利用されてはフィードバックされ育つアーカイブ。楽しみです。
by book-tokyo | 2005-06-04 03:26 | art&...
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