engawa
こどもの視線や息づかいが加わって12年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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アナ・トレント
「ミツバチのささやき」EL ESPIRITU DE LA COLMENA

1973年
ビクトル・エリセ監督 
アナ:アナ・トレント
イザベル:イザベル・テリュリア
フェルナンド:フェルナンド・フェリナン・ゴメス


久しぶりに、アナ・トレントに会いました。
ミツバチのささやき。
すべての少女性が持っていた、そしておとなになるにつれて失ってゆくものについて。
正直にいって、私はまだ忘れられないという意味で、ビクトル・エリセの視点に立つことが難しい。哀しくなるほど純粋な心と感性を持った、子供にだけ許される真実を見るまなざし。
それが真実か否かなどという設問には意味がない。まして、真実は在るのか否かという設問もナンセンスとなってしまう。

アナが出会い、信じ、見たものは、アナにとっては真実なのだから。
天才的子役といわれたアナ・トレントは、その魅了され引き込まれるような瞳の持ち主というだけではなく、幼心が傷ひとつなく透き通った、存在の儚さを体現している。制作秘話によると、エリセ監督がマドリードの小学校で初めてアナ・トレントに出会った時、彼が「フランケンシュタインが誰だか知っているかい?」と話しかけた際、アナは「知っているわよ。でも、まだ紹介してもらっていないわ」と答えたそう。そして、脚本にある役名に対して「どうして名前を変えなきゃいけないの?」と反発したのですって。どんな幼い子にも、虚構と現実の世界をさ迷う様子は見られると思う。
遠い昔を思い出せないおとなも、そんな幼心に触れると、失うことで強くなると思いこんでいることに気づくのではないでしょうか。そうであって欲しい。何故かさっと吹き抜けるような哀しみを感じさえる純粋さ。

この作品を知らないひとへ、もしエッセンスだけを伝えるとすれば、アナ・トレントというひとりの少女が、精霊を信じるという虚構を通して、虚構を否定することではない方法でおとなになってゆく予感を体現した作品・・・とでもいったら良いでしょうか。
でも、アナ・トレントをことばで表現するなんて不可能かもしれません。

ところで、今回改めて観て(もう数回観ていますが)、初めて感じたこと。
スペイン内戦終結翌年のスペインを舞台にしていますが、集落の様子が実に大らかだと感じたのでした。母は遠い駅まで自転車で郵便を投函しにゆき、父が集落から離れた場所より帰宅してみると、幼いふたりの娘たちはフィルム上映会を観に出かけている。空き地で焚き火を燃やして、飛び越える遊びに夢中になっている少女達。学校帰りに集落から遠く離れた小屋へ遊びにでかける幼い姉妹。汽車のレールに耳をあて、あやうく轢かれそうになる姉妹。いずれも現代の東京では無理だろう放任された子供たちの環境に感心し、驚きました。昔の東京も、こんな感じだったのでしょうか。


それから、姉役のイザベルのこと。
実はアナと同い年のこの少女。
何故か今回は、この子の表情にも惹かれました。

手紙のこと。
これには、色々と憶測があって、この映画をもうひとつの物語りとして、ひとり密かに楽しんでいます。とっておきのストーリは、テレサ(アナのお母さん)は、手紙を綴り、毎週のように遠い駅まで投函にゆくのですが、自分宛の手紙ではないか、という憶測。自分自身へ「あなたは無事ですが、どこにいますか」と終戦の混乱の中問いかけているように思えた。これは、とんでもない想像でした。

それにしても何度観ても秀作。ラース・フォントリアーの映像の色も好きなのですが、ビクトル・エリセのもっとのびやかでゆったりとした構図と、ため息のでるような美しい灰色にはかなわないな・・・と改めて。

最後に、挿入されていた「フランケンシュタイン」について
1931年・ジャームズ・ホエール監督 人造人間と少女、微笑みを知るフランケンシュタイン。双方の心の通い合いと悲劇。アナがひとつの扉をあけるきっかけになる作品。挿入シーン冒頭に制作者と監督からのご挨拶といって、紳士が「人類創造は神の御業なのを忘れた人の話です」「人類創造の秘密に迫る、生と死の物語りです」「世にも稀なお話、怒り出す人もあるだろうけれど、あまり本気になさらないよう願います」と語る。
DVD 東北新社
image 映画パンフレット表紙より 



アナ・トレント_d0020310_253779.jpg
by book-tokyo | 2005-05-21 02:07 | workshop
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