失うことを知るのは、ほんとうに失ってからなのか、失うということを今、知る必要があるのか、いつも考え初めて堂々巡り・・。
少なくとも、死については、ほんとうに失ってから、失い続けることを知る日が来ることを、今は知ることは出来ないし、知る必要は無いのではないか・・・。
それが、震災後にさまざまなエッセイを読むたびに、揺らいでいる。またひとつ歳を重ねて、さらに失うことについて考えさせられています。
失い続けること、それを恐れて所有しないことを選ぶこともできたのに、結婚もして、子どもも授かり、さらに両親や妹を想う。
今でも、失うことを恐れて、失わないよう何ものからも自由でいようとする衝動にかられることに、不思議を感じています。騎馬民族的感覚なのか?やっぱりジプシー?
まるで、繰り返される四季のうつろいのようです。
さてさて・・・かつて母のお腹の中から出てきた日は、どんな日だったのだろう・・・
爽やかな風の吹く日であったのならいいなと想像しています。
何事もないように過ぎてゆくいちにちでしたが、静かに、たくさんのお祝いのメッセージをありがとうございました。
たくさんの深い深い感謝が届きますように・・・。
週末の
ワークショップ準備中。葉っぱや松ぼっくり、貝殻をあまつことなく眺め回している間に、夜が明けそうです。