engawa
こどもの視線や息づかいが加わって12年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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"A Figure of Dys-Juxtaposition" 2009
もともとすいれんの保育園行事でとった半休、ふと藤幡正樹さん(&池田栄一さん)展覧会のことを思い出し、京橋のASK?まで観に行ってきました。
ASK?の暗い部屋に入ると、2人の男女が投影されている映像を熱心に眺めていて、私はその光景をしばらく見ていることになりました。作家の意図はそののちに会場で渡されたレジュメを読み、ほぼ体感からの感想と重なり合っていたことを知ったのですが、どうも何かにひっかかっていて困っている。ほどなく、その男女は静かに退室した。

作品を簡単に説明してしまうと、ひとりの女性の腕から指先までの動きを、2台のカメラで録画した映像を、ギャラリーの中央、奥の壁、左の壁にそれぞれに投影したもの。投影される位置は、鑑賞者が視線を自然にただよわせて、3つの画面を眺めることができるよう調整されている。2台のカメラで録画したとはいえ、別編集の映像だとも受け取れる、同一人物の腕の動きが同時に3方で流れている部屋の中で、私はそれらが共通して持っている物語性、作家の意図を読み取ろうと必死になっていました。5分ほど経過した時、ふとそのことにおかしさを覚えて笑ってしまった。この作品は、まじめな鑑賞者の知りたいという好奇心によって初めて存在意義を発揮する。ただし、いまごろ藤幡氏が、このような作品を発表するのはどうしてなのだろう。その意図を探るのには少し時間がかかりそうです。

まったく想像を超えるような高機能な画像編集ソフトの出現によって、視覚は「リアルであるかどうか」について考えることもやめてしまうだろう。すでに、私自身がそうなのかもしれない。藤幡氏が意図した「スクリーンを2面にしただけで見る側の見方、作業が変わってしまうのはなぜか?」「より映画的な視覚を持ったパフォーマンスがあってもいいのではないかと思うのだ。」について、深読みかもしれませんが、「観客を引き込まない」映像の実験を試みている?のだろうかとふと感じました。映像の、その向こうには何があるのだろうか。安易に答えを用意してくれない、そんな展示でした。

職場の20代、30代のスタッフが、藤幡正樹さんの名前を知らなくて、少しショックでした・・・。\"A Figure of Dys-Juxtaposition\" 2009_d0020310_0412252.jpg
by book-tokyo | 2009-11-08 00:41 | art&...
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