ayako tsuboyaのブログ
by book-tokyo
engawa
2008年、とりとめなく続く毎日に、こどもの視線や息づかいが加わりました。
そこに在ることをどのように見出すかによって環境や認識、はたまた自分自身と生き物の在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々のメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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稔れば実るほどこうべをたれる
赤米やキビもふくらと、さつまいもやさといものつるも色づきました。柿の葉と実の色が同化してゆく様子を、こんなにじっくりとみた秋は生まれて初めてのように思います。子どもと過ごす季節の移ろいが、これまでのものとまた違って見えるのは不思議なことです。
刈り取りが始まり、しばらく天日干しされていた稲穂も、今日は回収されているたんぼがありました。収穫の遅い稲はまだ金色のまま、稲穂はずっしりとこうべをたれています。稔れば実るほど大地に礼をする稲穂の美しさを、今年もしっかりと受け止めることができました。うっとりと、ややぼんやりと物思いしながらたたずむ私をよそ目に、すいれんは錆びたドラム缶を狂ったようにたたきながら祭り囃子を口ずさんでいました。まるで豊作を祝う神楽のようでした。
今日も裸足で元気良い子を見て、お散歩中の方々に何度もお声をかけていただきました。小学校三年生の時には、近所にいた何人もの乳幼児を子守していたという初老の男性は、すいれんの「なんで?」攻撃も嬉しそうで、「うんうん、2歳か、そんな年頃だ」と微笑みながらあやしてくださいました。農村の主婦は一日中忙しく、コミュニティの中でこどもがこどもの面倒を見ていた。それはそんなに昔ではないのだと、お話伺いながら色々と考えさせられました。
幼さなごが指をさす夕方の月。紅に染まる雲を追いかけながら、帰路を急いだ夕暮れになりました。

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by book-tokyo | 2010-10-17 00:25 | カウントダウン
金色の海に浮かんで…
どんなに悲しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、いつかは時が経って美しい朝の光や、緑の光線に癒やされる日が来るということを、まだ知らなかった13年前の今日、祖父が亡くなりました。
今日は「幼い子を連れて来るのは大変だから、あえてお誘いしません」という父の命を受け止めて、親族の墓参を欠席して静かに過ごしました。
まだこの世に降り立っていないような魂のすいれんは、この秋の訪れを全身で愉しんでいる様子で、珍しくたくさん歩きました。育児休暇中は毎日のようにふたりで、時に三人で散歩した地元の山や林は、ようやく色づいた柿の実を隠すように、鮮やかに紅葉してきました。今日はふたりで刈り取りが始まったたんぼまでお散歩。途中は地元のお祭りの踊りをしたり、とんぼや飛行機になったりしながら駆けてゆく。そしてかかしの立つ金色のたんぼの傍らで、いつものように地面に頭を擦りつけて横たわってしまいました(もちろん裸足)。
今思うと民話の世界から出てきたような素敵なおばあちゃまがおふたり通りがかりに、「おお、なんで裸足なの?なんで地面に転がっているの?何をしているのぉ」と笑いながらお声をかけてくださって、地面でおしゃべりをしているうちに、柿畑の隣に立つそのお宅へ伺うことに…。地元の林檎とバナナをご馳走になって参りました。しばらくお休みさせていただいた後は、このあたりの雑木林を造成したり、保存したりして来たと嬉しそうにおしゃっるお話を伺いながら、82歳になるおばあさまと我が家まで林の中の小径をお散歩しました。素敵な出会いだった。
すいれんの、ほんとうに無邪気な笑顔、無垢な瞳が、不安や怯えに暗く沈むことがありませんように。いつかおとなになって、出会う悲しみを乗り越えることができますように。
夕陽に金色になる雲を眺めながら頬ずりしてくる子と過ごす一瞬の時間が、これまでの人生でもっとも幸せな時を過ごしているのだと、何故だか涙が出てきてしまう今日でした。

金色の金木犀の海に、感激の声をあげて沈むd0020310_3172626.jpg
by book-tokyo | 2010-10-11 03:17 | カウントダウン
大地を感じる
最近、とみに周囲のおとなに判る翻訳技術をみにつけてきたすいれん。ことばで、時にデブリ身振りで。まだ擬音や足踏みや癇癪で表現することも多いのですが、だんだんと、コミュニケーションがとれることを楽しめるようになってきたようです。
そんな彼(2~3歳児?)は、今もひとりになる時間を大切にしています。みなさんの周囲にも、おままごと、絵本、採集などなど、時々非常に集中してひとりごちしながら過ごしている子はいませんか?人間には、そういう時間が必要だったのだ(そういう時間を持っていたのだ)と、すいれんを眺めていると改めてそう思うこの頃です。今日も家族で遊びに来た公園で、この2歳児くんが何をしたかと思い返すと、父親とボール遊び:ひとりで自由探索(3mうしろの物陰に父)=2:3、地面に横たわって空を見たり、頬ずりしたりずっと:そして遊具あそび=2:3。絶妙なバランスです。
大地に頬ずりは赤ちゃんの頃からよくしていましたが、大きくなってくるとなかなかの存在感。ほっぺに砂や砂利が食い込んで、汗でくっついてきます。(笑)こんな時があったのだと、忘れてしまいそうなのでスナップ。

夕闇のなか大地を感じる。
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by book-tokyo | 2010-10-03 03:32 | カウントダウン