ayako tsuboyaのブログ
by book-tokyo
engawa
2008年、とりとめなく続く毎日に、こどもの視線や息づかいが加わりました。
そこに在ることをどのように見出すかによって環境や認識、はたまた自分自身と生き物の在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々のメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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横浜理化学研究所公開日
日本各地にある理化学研究所のひとつ、横浜研究所の公開日があるというので、a Lab.のメンバーと訪ねました。朝9時45分始発のマイクロバス乗り場は、30分に到着すると既に長い列。正直驚いてしまいました。
横浜研究所はゲノム科学統合研究統合センター、植物科学研究センター、遺伝子多型研究センター、免疫・アレルギーセンターの四つの研究所が中心となっています。
ヒトゲノム解析がひと通り終わって、次はそれぞれの働きを理解するための研究が始まっています。DNAの塩基配列の違い(人間ではあるという範囲の微妙な・・)がひとりひとりの違いに反映されているといわれています。ほんの少しだけ異なる要素を持っている、持っていないだけで、他の生き物のもつ配列となるようなくらいであるのに・・・。
ポストゲノム解析でどんどんとあきらかになりつつあるタンパク質の立体構造を表す図や、結晶化されたタンパク質の美しさは初めて知りました。
ゲノムは、生命活動の基本であるとされていますが、これからどこまで解明されていゆくでしょう。解明され尽くしても不明なままの残されてしまうスポットがあるならば、あちらとこちらを、いったりきたりしてみたいと思います。

私たちは、これまで「目に見える」樹木や花、海や空、生活を描いてきたように、「新しい光によって見えてくる」モノやコトをどのように描いてゆけるだろうか。感想は山ほどありましたが、また少し時間をおいて書きます。
by book-tokyo | 2005-06-26 22:12 | in art in science
「アート・芸術」という行為
いまさらことばの意味を掬い取ろうとしても、長い歴史の垢はなかなか落ちないものです。デザインと括られる行為、サイエンスと括られる行為、〜家と呼ばれる色々な立場の人によって、その定義は異なって、収集はつきません。
ひらめきをかたちにする術・その試み・・・
破壊と誕生。
現在すでにある基盤を改革してみようという試みにも、小さな芸術的動機があるかもしれません。が、ジャン・コクトーのように、ひらめきが先にあり、それが適切だと感じる(考えていないだろうが)既存の手法〜映画、演劇、詩、文学・・・によって具現化されるような、そういうプロセスがもっとあっても良いのではないかと感じています。細分化が進んだ現代では、確率された基盤をまずは学び、それを語り、歴史を分析することが評価・求められてきたように思います。しかし、ふと身近なところを見渡すと、宙に浮かんだまま不安定ながらも新しい試みに身を削っている同世代(上下40年くらいでしょうか(笑))あり。

宙ぶらりん万歳。そのうち、綺麗な糸が四方八方に伸びて、伸びてきて、誰かと、何かと、シナプスのように繋がってゆく。
by book-tokyo | 2005-06-12 12:33 | art&...
リリィ・シュシュのすべて
「リリィ・シュシュのすべて」岩井俊二
2001

久々に日本の映画を観ました。
かもしだすにっぽん調。

13歳から始まって、12歳に遡り、そして、14歳まで続く少年の日常。
内面の純粋さと、日常に起こる残酷な出来事の対比が鮮明な脚本。
何よりも、それに気づかない・感じない大人の世界(唯一主人公の雄二の母を抜かして)の描き方が印象的であり、岩井俊二の視点はどこにあるのかについて、考えさせられる、映画っぽい映画でした。

青年期の曖昧さを、20歳前後ではなく、13~14歳で描いたこと、凄いと思う。
あまりにもリアルである時、観るものはどう現実に戻ったら良いだろう。淡々と過ぎてゆく少年時代は、これこのまま淡々と過ぎてゆくという予感?

見終わって2〜3日、妙な気持ちが続いて困ってしまいました。
(私の少年期と重ねているわけではありません(笑)あしからず)
by book-tokyo | 2005-06-10 22:35 | 映像&頁もの
リトグラフ講習会
はじめて、町田市にある国際版画美術館の版画工房に行って来ました。

「版式調査」のリーダがリトグラフを体験してみたいという素敵な発想が発端です。私は、見学者として参加しました。

久しぶりに嗅いだ薬品やインクの匂い。
優しい色をした石灰石。
クレヨンや解き墨がアルミ版に黒い色を載せる様子。

私も描きたくなってうずうずしました。

リトグラフの技法は、他の版種と比べると、やや化学的作用に頼るせいか判りにくい原理でもあります。私も自分自身が初めて一通りの作業の流れを体験した際にも、その原理を把握できないことにとまどいました。ただ、そうはいっても書いたものをインクに置き換えて、紙に刷り取るという仕組みは単純なので、判ってくると様々な工夫ができるようになります。
版に化学的な作用を施し、油と水の原理を利用して絵を紙にうつします。この技法に関しては、サイトhttp://www.book-tokyo.comにもこれから記載してゆこうと思っています。

町田の国際版画美術館版画工房の印象は、とても良かったです。整理整頓されて、使いやすい道具の配置が工夫されていました。明るさも調度良く、多少の狭さもルールを守れば苦にならないと感じました。久しぶりに気持ちの良い工房を見ました。ひそかに「またきます」と呟いて帰りました。
by book-tokyo | 2005-06-04 23:33 | art&...
戦争とメディア研究会
と、唐突に普段の投稿と毛色の異なるタイトルです。

人類史上に「出来事」と旗を立てるのは人間のする認識活動で、連綿と毎日、どこかで何かが起こっている。たまにそれを忘れてしまっていることに気づきます。何が事件なのか、それは事件と見る、見方によるとも言える。

第一次世界大戦おわりころに各国(主に連合軍)で発行された平版ポスターのデータベースを作成するという作業に関連した研究報告会がありました。
誰が、どんな目的で、漠然とした出来事の中から、自分たちが必要とすることを歴史から抽出するのか。600枚近いポスターという未分化な情報には、無限の方向から串を刺そうと思えばば刺せる。(笑)
串焼(例えが美しくありませんが)を想像してしまいました。
あらゆる食材から選ぶことができれば、際限ない種類の串焼が出現しそうです。様々なキノコの串焼、緑色の食材の串焼etc.
ところが、ザルの上にのった食材の中からだけで串焼を作らなくてはならなければ、そのバリエーションは限られたものになる。

さて、大量のポスターがデータベース化されようとしていますが、その「器」に「版式」という材料を見出そうという動きがあります。大戦ポスターを、「版式」をベースにして串焼きにできるようになりそうなのです(どんな?それはこれから)
とても面白いと思います。
1910年〜18年頃といえば、重要な大衆のメディアはラジオの他にはポスターが挙げられるそうです。今回再発見された大量のポスターからは、生まれつつあった近代米国の大衆文化、戦争とメディア、メタデジタルアーカイブ化に関する研究、さまざまなアフォーダンスを感覚・導きだせる様相がある。研究会に参加してそれが一層感じられました。
特に、社会学的な観点からは、版式を調査することで、印刷技術、技術の質、大衆文化の萌芽の観察etc.などへ繋がるだろうという考え方が興味深い。
私はこの版式調査に関わっていているのですが、この時期(1910年代〜)には様々な版種が混在していたため、その多様なオリジナルの版面をじっくりとルーペを使って観察できたことはとても有意義でした。石版画(平版・リトグラフ)の美しさを堪能する時、重なり合う砂目を透かして重なる色や、美しい砂目そのもののテクスチュアも重要な要素だと思っています。
確実に消えつつある版種(アルミ版や木によるリトグラフなど色々な作品は生まれていますが)とマチエールなので、現在の時点で中途半端ではない精確な記録と考察がされることをひそかに期待。戦争中というのに、計算された色の組み合わせや構成やモチーフの描き方の巧みさに感動してばかりでした。

過去への郷愁というよりは、失われてゆくひとつの感覚を生まれ変わりの母体とできるような、記録・記憶を残したいという非論理的な感覚でしょうか。現代のデザイナーがどんな版式を選びこれからの表現を模索するのか。この選択肢も日々変化してゆくことでしょう。それには、様々な版式や可能性を実感していた方がいい。採算性ではない人間の豊かな五感を育てる(維持が精一杯?)のは、わたしたちのあくなきクリエィティビティなのではないでしょうか。つまり職業に関わらない「こだわり」を多くのヒトの共有財産にできるエネルギー。

メタアーカイブ、利用されてはフィードバックされ育つアーカイブ。楽しみです。
by book-tokyo | 2005-06-04 03:26 | art&...