ayako tsuboyaのブログ
by book-tokyo
engawa
2008年、とりとめなく続く毎日に、こどもの視線や息づかいが加わりました。
そこに在ることをどのように見出すかによって環境や認識、はたまた自分自身と生き物の在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザインwithサイエンスの日々のメモ。

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。


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葛藤を抱え込む曖昧さ
最近、取り組みつつあるテーマのために、発生学と再生学なるまるで未知だったジャンルの研究に関する研究写真や文章を見読しています。
発生学や再生学については、私は説明ができるものではないので、関連サイトなどをご覧いただくとして(http://www.cdb.riken.jp/jp/・・・理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター)、生命や胚発生の過程のメカニズムなど解明に関する資料を眺めているうちに、この人間の持つ飽くなき好奇心に驚くと共に、少なからず畏れを感じました。明らかにしたいという欲求は、artにもscienceにも共通したものではないでしょうか。それが地球全体にとって、有益なのか害なのか、それを考えるのは哲学や倫理学であると考えてみると、葛藤を糧にすることもできる。
コンピュータ言語の開発、原子力、遺伝子解明・・・脳科学や再生学にまで至ると、同一人物の中で、科学への忠誠と実生活や未来をどのように調和してゆけるのだろうかと、思いを馳せています。
artは、葛藤を抱え込み、曖昧さをそのまま目に見えるかたちにすることができる可能性を持っていると思うのです。昨日まで気づかなかったことを明らかにし、それを観る人が曖昧な中から様々な夢や希望(その反対も)をみつけることを願うこと。
科学が、わたしたちの生命や地球の仕組みを明らかにしてゆくにつれ、曖昧さや不可思議な魅力に心身をゆだねる楽しみについて、私たちは自覚できるようになるかもしれません。
by book-tokyo | 2005-05-31 02:09 | in art in science
独り立ち鶯・森の匂い
昨日に続き、今日も夕立。
東京都心はまるで映画のセットの中にいるように、局所的な豪雨。
久しぶりに雨の中を走って、少し楽しかった。
それにしても、毎年、こんな次期に夕立なんてあったでしょうか・・・?

ところで、私の住まう近辺は、庭に樹木の茂る一軒家が多く、借景・借音がすばらしいです。3月の中頃には、鶯や郭公(カッコー)の雛が孵ったのか、移動してきたのか、いづれの区別もつかないような囀りが、たびたび聞こえてきます。
去年も同じ頃に聞こえ始めたので、近辺に巣を作るのかもしれません。
ホ〜とはじまって、けっきょで終わるのですが、間の音がありません。リズム感や音感が一人前に整うのは4月中旬頃です。都会の鶯の子は、案外のんびりしているのかも。郭公も、時々ですが、カッコ〜とその名も通りの見事な声を聞かせてくれます。最近は、お天気が良くなると早朝から自慢の声で唄いはじめるので、寝起きはとても素敵です。日中の作業も心地よく、声に聞き惚れて、外出をやめてしまうこともあるくらい。

独り立ちの季節が来る頃、彼らを隠してくれる木々の緑は一層深くなりました。
どうか、大きく育った庭の樹木たちが切り倒されませんように。
この季節の風の匂いにはうっとりしてしまいます。

隣家より
by book-tokyo | 2005-05-24 20:24 | 呟き
苺のヘタから
路地苺の美味しい季節になりました。
大きな温室育ちとちがって、小粒で甘酸っぱい香りの路地苺。ジャム用にとパックに山盛りになっているのを幾つも買い求め、器に山盛りしてみるとたわわに実った苺畑の続く野道を想像することができます。

ヘタをプルーンにつけてみました。
なかなかユニークな苺に見えます。そういえば、苺の印象は、赤い実以上にヘタのかたちが強いなぁと感じました。布でできたねずみに乗せてみる、多孔虫の化石に乗せてみる。以外に可愛らしい苺に見えるので、面白くなりました。フレッシュな苺はお腹の中、干からびたプルーン、最初からぬいぐるみのネズミ、そして化石。

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by book-tokyo | 2005-05-23 23:05 | 呟き
アナ・トレント
「ミツバチのささやき」EL ESPIRITU DE LA COLMENA

1973年
ビクトル・エリセ監督 
アナ:アナ・トレント
イザベル:イザベル・テリュリア
フェルナンド:フェルナンド・フェリナン・ゴメス


久しぶりに、アナ・トレントに会いました。
ミツバチのささやき。
すべての少女性が持っていた、そしておとなになるにつれて失ってゆくものについて。
正直にいって、私はまだ忘れられないという意味で、ビクトル・エリセの視点に立つことが難しい。哀しくなるほど純粋な心と感性を持った、子供にだけ許される真実を見るまなざし。
それが真実か否かなどという設問には意味がない。まして、真実は在るのか否かという設問もナンセンスとなってしまう。

アナが出会い、信じ、見たものは、アナにとっては真実なのだから。
天才的子役といわれたアナ・トレントは、その魅了され引き込まれるような瞳の持ち主というだけではなく、幼心が傷ひとつなく透き通った、存在の儚さを体現している。制作秘話によると、エリセ監督がマドリードの小学校で初めてアナ・トレントに出会った時、彼が「フランケンシュタインが誰だか知っているかい?」と話しかけた際、アナは「知っているわよ。でも、まだ紹介してもらっていないわ」と答えたそう。そして、脚本にある役名に対して「どうして名前を変えなきゃいけないの?」と反発したのですって。どんな幼い子にも、虚構と現実の世界をさ迷う様子は見られると思う。
遠い昔を思い出せないおとなも、そんな幼心に触れると、失うことで強くなると思いこんでいることに気づくのではないでしょうか。そうであって欲しい。何故かさっと吹き抜けるような哀しみを感じさえる純粋さ。

この作品を知らないひとへ、もしエッセンスだけを伝えるとすれば、アナ・トレントというひとりの少女が、精霊を信じるという虚構を通して、虚構を否定することではない方法でおとなになってゆく予感を体現した作品・・・とでもいったら良いでしょうか。
でも、アナ・トレントをことばで表現するなんて不可能かもしれません。

ところで、今回改めて観て(もう数回観ていますが)、初めて感じたこと。
スペイン内戦終結翌年のスペインを舞台にしていますが、集落の様子が実に大らかだと感じたのでした。母は遠い駅まで自転車で郵便を投函しにゆき、父が集落から離れた場所より帰宅してみると、幼いふたりの娘たちはフィルム上映会を観に出かけている。空き地で焚き火を燃やして、飛び越える遊びに夢中になっている少女達。学校帰りに集落から遠く離れた小屋へ遊びにでかける幼い姉妹。汽車のレールに耳をあて、あやうく轢かれそうになる姉妹。いずれも現代の東京では無理だろう放任された子供たちの環境に感心し、驚きました。昔の東京も、こんな感じだったのでしょうか。


それから、姉役のイザベルのこと。
実はアナと同い年のこの少女。
何故か今回は、この子の表情にも惹かれました。

手紙のこと。
これには、色々と憶測があって、この映画をもうひとつの物語りとして、ひとり密かに楽しんでいます。とっておきのストーリは、テレサ(アナのお母さん)は、手紙を綴り、毎週のように遠い駅まで投函にゆくのですが、自分宛の手紙ではないか、という憶測。自分自身へ「あなたは無事ですが、どこにいますか」と終戦の混乱の中問いかけているように思えた。これは、とんでもない想像でした。

それにしても何度観ても秀作。ラース・フォントリアーの映像の色も好きなのですが、ビクトル・エリセのもっとのびやかでゆったりとした構図と、ため息のでるような美しい灰色にはかなわないな・・・と改めて。

最後に、挿入されていた「フランケンシュタイン」について
1931年・ジャームズ・ホエール監督 人造人間と少女、微笑みを知るフランケンシュタイン。双方の心の通い合いと悲劇。アナがひとつの扉をあけるきっかけになる作品。挿入シーン冒頭に制作者と監督からのご挨拶といって、紳士が「人類創造は神の御業なのを忘れた人の話です」「人類創造の秘密に迫る、生と死の物語りです」「世にも稀なお話、怒り出す人もあるだろうけれど、あまり本気になさらないよう願います」と語る。
DVD 東北新社
image 映画パンフレット表紙より 



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by book-tokyo | 2005-05-21 02:07 | 映像&頁もの
岸辺のふたり
「岸辺のふたり」をようやく観ました。

監督/ストーリー/デザイン/マイケル・デュ・ドゥ・ヴィット
2000年
英国・オランダ カラー8分

単館でかかって、このフィルムの予告を観た時、何か気になるけれど少し離れておこうかなという印象がありました。
でも、DVDの背を見るたびに、いつか観ようと・・・。
観ました。

幼い子供の頃、湖へ〜それは大地でもあるのですが〜消えていった父の面影を、一生涯慕い続ける女性を描いた、ショートアニメーションです。純粋な親子の愛を、こんなシンプルなアニメーションと音楽で描くことができるなんて。
このフィルムが歪まずに映るように、心の鏡を磨いておきたいと思いました。
テクニックではなく、何よりも監督の心と真っ直ぐとした眼があったから描けた作品ではないでしょうか。

どんな子にとっても父に対する想いは様々あるでしょう。
女性が父に対して持つ想いと、男性が母に対して想うものは、ただ子が親を想い、親が子を想うという同じ定規では、測れないのではないかしら。


でも、そんな思索はやめて、ただ、8分のあいだ、あたまを空っぽにして観る。


初めて観た時には、最後の瞬間に涙が止まらなくなった。
2度目に観る時には、きっと冒頭で泣いてしまうだろうと思う。

美しい作品でした。

(予告編のようになってしまいました(笑))
by book-tokyo | 2005-05-19 01:11 | 映像&頁もの
Mac Power
Mac Powerの表紙が変わりましたね。
って、今頃、目に入ったというばかりなのですが・・・。

表紙・・・何かすっきり、今風になったと思いきや、佐藤可士和さんの写真とディレクションでした。「今風」のエッセンスを感じさせるというのは、デザイナーとして大切な感性なのでしょうか。ちょっと先。あんまり先ではない。あ、いいなと今感じる、そのタイミング。
繋がっている感じ。
カラー風景の場合、少しペールトーン、遠近感がなく拡散光気味、そして水平もしくは垂直な構成の線。
誰がはじめたのかまでは記憶にないのですが、最近続いている今風な感じの印象です。
個人的には、モランディ風と名付けてみました。
「去年マリエンバードへ」や、広重の「日本橋」のような一点透視図的な構図が、古いけれど新鮮にも感じるこのごろです。

Mac Powerは、誌面のデザインも記事の内容、クローズアップされている人物までも、ちょっと対象ユーザを見直したような、印象です。エディトリアルもすっきりと、白っぽい。
内容は、プロダクトデザイン方面の記事も多く、和菓子や香水瓶の特集など。Change Your MusicLife with iPodということで小西康陽やTei TOWAの記事も。
Macについてさらなる情報を知りたい人は、何もパソコンヘビーユーザや機械好きばかりではなく、Macをデザインツールや脳みその機能拡張として使っているクリエータも多くなっている現状にようやく追いついた・・・?それともそのようなユーザを読者として迎えたいというコンセプトによるリニューアルかしら。
いづれにしても、Macが重要な仲立ちになっているのは、クリエーターとヒト、モノやコトであることは確かなので、機能や性能テスト、新製品情報満載だったMac Powerの変身ぶりは、そう悪くはないのではないのかしら、と感じています。
でも、クリエータの仕事着:デニム特集は、どうなのかしら(笑)
by book-tokyo | 2005-05-11 23:12 | design&...
COFFEE&CIGARETTES Vol2
唐突にジム・ジャームッシュ監督「コーヒー&シガレット」
超個人的な感想vol.2です。

今晩は最終話「CHAMPAGNE」シャンパン
BILL RICE+TAYLOR MEAD
あまり美味ではないコーヒーをシャンパンにみたてて、夢見るような眼差しを宙にたゆたわせるテイラー・ミード。
Ich bin der Welt abhanden gekommen /ジャネット・べーカーの歌声が、倉庫のような空間にオーロラのように現れては消える。ビル・ライスとの会話も、現実的な仕事の休憩時間という設定から、やがてふたりがそれぞれの想いの中に耽ってゆくフェードアウトが、何ともいえず心に残っています。
死を予感する、夢想のオーロラ。

ジム・ジャームッシュの日常への優しくも透徹とした視線に、手元のコーヒーカップたちにも、同じ予兆や繰り返しを見つけることができるように感じてしまう。身の回りの出来事がぼんやりと浮かび上がってきます。
image「コーヒー&シガレッツ」より http://coffee-c.com/

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by book-tokyo | 2005-05-10 01:04 | 映像&頁もの
LUMIERE ET COMPAGNIE「リュミエールと仲間たち」
un film de SARAH MOON Moon 1995年
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テレビの替わりと言ってはおかしいのですが、様々な物理的な条件で、私の目の前にあるモニタ3台にはDVDとインターネット配信の映像しか映りません。
今晩は、「リュミエールと仲間たち」を流しています。
映画史上はじめて動画を撮影したリュミエール兄弟が使ったとされるカメラで、40名の監督が撮影した。REGLEは3つ。
規則1 1カットは52秒
規則2 同時録音なし
規則3 3テイクのみ

テオ・アンゲロプロス ジャック・リヴェット マイケル・ナイマン アンドレイ・コンチャロフスキ スパイク・リー ヴィム・ベンダース 吉田喜重 アラン・コルノー チェン・イーモー デヴィッド・リンチ・・・etc.
映画は死にますか? 映画を撮る理由は? 映画を撮る動機は? 

カットの中途で、各監督へのインタビューが挿入されている。
それぞれの監督が、規則を面白がってシネマトグラフで撮影された映像はどれもそれだけで美しかった。デヴィッド・リンチの徹底したフィルムの中に入り込んでしまったフィクションにも驚き。アラン・コルノーの魅惑的な踊り子と思わずアラン・コルノーと同じくらい微笑みたくなる素敵な色彩の映像。「物語りはなくならない。物語りに対する欲求は不滅だ」といったヴィム・ベンダース、「誕生があるように死もある、したがって映画が消滅する時が来るかも知れません」といった吉田喜重。私にとって、映画監督が映画について語るように、画家が絵画について、作曲家が音楽について語る・・・同じように思えてしまう。ただ、カメラを覗いて視る=観られるという点で、なぜか映画を親身に感じるのですね。
何といっても、ジャック・リヴェットに質問された「映画を撮る理由は?」に対して答えているシーンは涙が出てくるほど感動した。
「映画」を「なにか」に変えたとしても、リヴェットの「その答えは長く懐疑的な沈黙だ・・・だから・・・」に比べたら、どの監督の答えもとても個人的で日記のよう。植木鉢と新聞紙を交換してしまうローラースケート女とシャツ男。そして、地面に描いた図形(地図)の上をケンケンする少女と歌声。サラ・ムーンの優しい映像もすばらしい。Gakkenから、日本語字幕も出せます。無神経な映像の嵐に疲れた時の鎮静剤になるかしらん。
「リュミエールと仲間たち」Gakken
http://musik-platz.gakken.co.jp/special/lumiere.htmld0020310_0463171.jpg
by book-tokyo | 2005-05-09 01:00 | 映像&頁もの
Safariのセキュアページ エラー
こんばんは、久々に手を焼いているAppleへの愚痴。

OS10.3.9(10.4はほとぼりが醒めたころ、試してみようかと思っています)にようやくしたところ、10.2.8まで使用していたSafari1.0では問題なかったセキュアページへの接続が、Safari1.3になってから出来なくなってしまいました。

ディスカッションボードやさまざまなコミュニティを覗いてみましたが、当初は同等の問題にあれこれ議論がされていたようですが、結果的にはSafariのバグか、ネットワークの設定が各環境で異なるために起きている出来事なので、特にAppleからの情報提供はないことがわかりました。(そうではない、という情報を持っていらっしゃるかた、助けてください・・・)

というわけで、exxiteブログにもSafari1.3から、自宅の環境のままでは投稿できなくなりました。ずいぶんIEも表示が美しくなり、セキュリティ的にも不安が少なくなったので、今後はこちらを使おうか・・・FireFoxかNetscapeか・・・迷っています。
Safariのインターフェイスを気に入っていたので、諦められず。

AirMacのせいなのか、また時間ができたらもう少しある検討事項をチェックしてみようかなと思っています。あ〜、湯水のように時間を使ってしまっています・・(苦笑)
つぶやきでした。
by book-tokyo | 2005-05-08 00:30 | 呟き
月桂樹のもとで
大好きな先生のご自宅へ、遊びに伺いました。
魔法使い(笑)の先生に似合って、森の端っこに、森の番人の住むような素敵なお家が現れてびっくりしてしまいました。小径はそのまま草が繁り、樹木が枝を伸ばす陰に続いていました。

伺ってから、おいとまするまで、おしゃべりしたり、お散歩をしたり・・・。
お茶からはじまって、美味しい貴腐ワインにコーヒーと、筍ご飯まで、実に会話が弾んで滞りのない時間を演出される先生のおもてなし=贈りもののデザインに、ため息がこぼれました・・・!

ゆったりとたゆたう光の中で、とりとめもなく続く会話の中から、様々なエッセンスを感じ取ることができたのも、実は先生の「タクラミ」だったのでしょうか。
なんだか、そんな気持ちになるよな昼下がりでした。大切な時間を、有り難うございました。

草分けて谷へおりていって、りっぱな月桂樹の枝から、数枚の葉をポケットに。シャガの花咲き乱れ、かえでの種が紅く垂れ、桜の実のなる森も、おいとまする頃には異世界の闇にすっかり沈んでいて、驚きました。東京にも、こんな原生林のような森が残されているのですね。街灯がひとつもない森の公園への道は、鬱蒼とした樹木に空も遮られ、漆黒の闇の中。
波照間の道は月のある日は月光に、星のある日は星光に照らされて、案外と明るいのです。こんな漆黒の闇は新月の曇りの日、密林に続く道を歩いた時以来でした。目をどんなに凝らしても暗い闇の中では、色々な気配を感じやすいものです。あちらにもこちらにも、温度や湿度を感じ、やがて目にぼんやりと色が見えてきます。お土産は、お庭のチャボが産んでくれた小さな卵と、芳香をはなつ月桂樹。あぁ、至福謝々
by book-tokyo | 2005-05-06 01:21 | design&...