ayako tsuboya blog
by book-tokyo
engawa
こどもの視線や息づかいが加わって15年目。
母として、ひとりのひととして、そこに在ることをいかに見出すかによって環境や認識が、自分自身とあなた・それとの在りようが変化する。その在りように、どう向かいあいましょう。
アート&デザイン with サイエンスの日々と活動をお知らせするメモ。
創りたい、みてみたい世界への試行錯誤の追記を再開します。(2023)

暖かい新聞紙の様なノートを縁側に敷きました。旅するみなさま、しばし腰を降ろしていってくださいまし。

このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

HP:book-tokyo.com
以前の記事
2020年 02月
2020年 01月
2019年 10月
2019年 09月
2018年 12月
2018年 03月
2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 06月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 01月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
"A Figure of Dys-Juxtaposition" 2009
もともとすいれんの保育園行事でとった半休、ふと藤幡正樹さん(&池田栄一さん)展覧会のことを思い出し、京橋のASK?まで観に行ってきました。
ASK?の暗い部屋に入ると、2人の男女が投影されている映像を熱心に眺めていて、私はその光景をしばらく見ていることになりました。作家の意図はそののちに会場で渡されたレジュメを読み、ほぼ体感からの感想と重なり合っていたことを知ったのですが、どうも何かにひっかかっていて困っている。ほどなく、その男女は静かに退室した。

作品を簡単に説明してしまうと、ひとりの女性の腕から指先までの動きを、2台のカメラで録画した映像を、ギャラリーの中央、奥の壁、左の壁にそれぞれに投影したもの。投影される位置は、鑑賞者が視線を自然にただよわせて、3つの画面を眺めることができるよう調整されている。2台のカメラで録画したとはいえ、別編集の映像だとも受け取れる、同一人物の腕の動きが同時に3方で流れている部屋の中で、私はそれらが共通して持っている物語性、作家の意図を読み取ろうと必死になっていました。5分ほど経過した時、ふとそのことにおかしさを覚えて笑ってしまった。この作品は、まじめな鑑賞者の知りたいという好奇心によって初めて存在意義を発揮する。ただし、いまごろ藤幡氏が、このような作品を発表するのはどうしてなのだろう。その意図を探るのには少し時間がかかりそうです。

まったく想像を超えるような高機能な画像編集ソフトの出現によって、視覚は「リアルであるかどうか」について考えることもやめてしまうだろう。すでに、私自身がそうなのかもしれない。藤幡氏が意図した「スクリーンを2面にしただけで見る側の見方、作業が変わってしまうのはなぜか?」「より映画的な視覚を持ったパフォーマンスがあってもいいのではないかと思うのだ。」について、深読みかもしれませんが、「観客を引き込まない」映像の実験を試みている?のだろうかとふと感じました。映像の、その向こうには何があるのだろうか。安易に答えを用意してくれない、そんな展示でした。

職場の20代、30代のスタッフが、藤幡正樹さんの名前を知らなくて、少しショックでした・・・。\"A Figure of Dys-Juxtaposition\" 2009_d0020310_0412252.jpg
by book-tokyo | 2009-11-08 00:41 | art&...
<< つい自分自身がなりきってしまう マカオ2009 >>